2007年1月 1日 (月)

あけました。

2006年が終わってましたね。

3ヶ月以上もお久しぶりです。

あれ以降、毎月のように旅をしました。

9月には2泊2日(初日はバス泊)で東京へ行き、
その初日は小海線に乗るだけのために色んな列車に乗りました。
2日目は東京の門前仲町から神田、赤坂、表参道、原宿、と自転車をこいで、
そのまま民藝館へ行き、ヘトヘトで疲れ・・・。
輪行して京王とJR乗り継いで多摩川の中野島へ梨の直売所へ。
自転車で多摩川の河川敷をちょろっと漕いで、小田急線で新宿、JR乗りかえて東京駅。
最後は新幹線で帰りました(新幹線で輪行する姿が羨ましかったのさぁ)

10月は冷やかし半分で餘部鉄橋へ、乗り放題切符で。
バイトの都合でもう一度東京へ行き、神田で古本屋とスポーツ用品店巡りをしました。

11月が神戸からフェリーで高松へ行き、高松から直島へ。安藤忠雄とかジェームズ・タレルとか、気になりだした直島のアートを少しだけ拝見。

12月はLマガの本に触発されて大久野島へ。ウサギと戦争時の毒ガス工場と国民宿舎しかない島ですよぉ。
翌日しまなみ海峡を渡って松山へ。ふらりと入ったインドカレー屋が箕面にも店舗を出していらしてらっしたの。


悲しい出来事。我が家のワンちゃんが天国へ召されました。
召される前日に奈良へ向かう機会があり、コロの姿を目に焼き付けました。
ありがとう。
そう言いたい。


旅して実感したこと。
日常というのはどこも変わらんもんだなぁ、と実感しました。


年末にかけて。いろいろ録画しました。
朝まで生つるべ、クリスマスの約束、さだまさし・・・
オッサンばっかり録画して、正月を迎えております。

大吉!!ただ旅行は「利少なく帰途に注意」



ブログの名称を変えて、2007年がそれなりによい年でありますように。

2006年8月15日 (火)

お盆を迎えて。

Ix1pmjyk
先月の末のことになりますが、
私の婆さんが他界しました。
大正生れだったので、80余年。
去年の末に入院してからは辛い思いもしたとは思いますが、
何不自由なく、元気にやってこれたのではないかと思います。
亭主が早くに亡くなって25年も経つので、その間をひとりで暮らしてたわけですが。
団地住まいで、世話好きで、団地内は何十年もの付き合いがあるから、
そのコミュニティの中でひとりで暮らす方が、長男の家にお世話になるより楽しかった。

asamiさんとこに言えるのが、(良い意味でも、悪い意味でも)自分勝手でお節介なくらい気を配り、決してブレない。
ウチは自分勝手なとこしか受け継いでないけどsad
祖母は自分の思うことに迷いはなかった。
大正生まれで写真がイヤだからと言っても、再入院する前に撮っただけで、あとはことごとく断り続けた。
思い出は記憶に焼き付けている。

でも、東洋医学が好きでも健康診断をちゃんとしてれば末期ガンもなんとかなってたのではないかもしれないけどね。

前の土曜にふた七日を、時期だけに早朝から執り行い、四十九日は来月。
初盆は来年なんですって。


そういうことで、母殿と自衛官の弟は先々週は忌引で休み。今週は盆休みでちゃんとお休み。
ウチはビチッとバイトをこなしまして、
きのう無事になんとか誕生日を迎えられました。

先月末から壊れない程度に新幹線と売店のバイトをやってたんですがねぇ。ブログなんて考えてる余力がないのね。
某Gさまも大変そうですが(先月末時点で)


最後に最近買い換えた携帯電話には音楽プレイヤーが搭載されておりまして。
iTuneからSDに転送する用のソフトがめんどくさいのでやっぱりiPodがいいなぁなんて実感するのですが。
SDには自分なりに選んで転送するので、似通ったジャンルの曲をシャッフルして聴いてるとそれはそれでいいなぁと思ったりするのですよ。


note返事はいらない 荒井由実
note赤い電車 くるり

2006年3月31日 (金)

急転直下

今夜から試験的に新しい、
と言ってもおバァが住んでた団地に住んでみることに。

ウチは仕事に明け暮れてますが。

で、来週には向こうにいるらしい。
っちゅうことは。
来週までに向こうの家にインターネットを繋げる様にしなくては!!

かと言ってヤフーもなんやし、ケーブル系は団地やから無理やし。。。




2006年3月26日 (日)

おバァ、倒れる

そんなことがありました。
実は去年の末なんですけどね。
12月30日くらいかな?
まったく触れてこなかったのですが。
実は大病でした。
大腸がやられまして。
11月頃から「背中が痛い」とは言ってたのですが、
まさか大腸とは露知らず、だったそうです。
26日ころから容態が悪くなり、
30日、さすがにこれではいかん、と言うことで、
病院に行って検査しましたら、
「すぐに手術が必要です」という結果に。
そこから夜通しで大腸の一部を摘出、
人工肛門を埋め込むのも行いました。
その間、おバァは全身麻酔をしてたのでした。
おバァは気が強いけど、
それは本当は弱いことの裏返しであって。
だから人工肛門とか、術後のリハビリとか、
そういう諸々を知った時にどう反応するか不安でした。
と、いうのも、年末年始というのもあって、
全身麻酔を年明け3日まで継続させたのです。
主治医を決めてないので、判断が出来ないのが理由です。
で、麻酔が終わり、
それから意識がぼんやりとはしているものの、
おバァは入院生活を始めたのです。
1週間もすればある程度の気力体力もみちがえり。
でもさすがに独り暮らしをするわけにはいかないなぁ、と
おバァの子供らで寄り合いした時に話は進んだそうで。
退院したらすぐ近くの長男の家で過ごすそうです。

おバァは25年も前に旦那が先立ってからは。
ずっと独りで暮らしてまして。
かと言って、団地の近所づきあいとか、
すぐ近所の長男の家とか、
健康食品会社の講演会(と、その後に催される健康食品の特売会)とか、
いろいろなコミューンがあるので決して孤独なわけじゃなく。
だから、独りで暮らしていける自信があったから、
長男の家の建て替えの時、
おバァ用の部屋をあつらえたんだけど、
同居を拒んだのだった。(嫁姑の関係は今も絶好調だけど)

じつは。入院・手術をしたとき、
これをブログに書くのは落ち着いてからにしよう、と
とっさに決めたのですが。
それでよかったと思います。
断片的なことしか知らなかったし。
かくいう私、あまりお見舞いに行っておりませぬ。

初めてお見舞いに寄った時、
まだ麻酔が明けた次の日で。
その時の会話から「asami+はお腹すいてるんとちゃうか」
ということを思ったみたいで。
次来た時に「ほら、asami+にお昼食べさして」と言ったのですな。
それがきっかけで、おせっかいなasami+一族。
ひと悶着あったのです。
ウチが「お腹すいた」と言った言わないとか、
別にお小遣いよろしいのに・・・とか。

ことしもおせっかいパワー全開で進むのでありましょう。

とにかく。大事に至らんでよかった。

よかったけど、話は思わぬ結果を生む。

退院後、おバァは長男の家に住むこととなり。
空いたおバァの団地にウチら家族が引っ越すこととなりました。

ボンボンが空自に行って、3人になるので、3人だったら4畳半と9畳と小さい台所だけの家でも何とかなるだろう、ということで。

そこで。
とりあえず、おバァの家にあるものを処分しようと、乗り込んでみたら。
昔から溜め込んだものの、全く陽の目を見ていないのがわんさかいらっしゃる。
例えば毛糸の玉が段ボール数箱分もあり。
25年も前に他界した、旦那の衣類が残ってたり。
全く使わなくなっても「まだ使えるから」と残している衣類や靴や、
賞味期限の切れたふりかけやコーンスープの素や、或いは冷凍食品の数々。

当人はほかされるのを嫌っているけど、長男の嫁さん筆頭に「捨てる!技術」が上手な面々にとっては・・・。

ですんで、きのう、ウチが東京へ仕事に行ってる最中に処分を始めたそうです。



でも考えたら、家賃と光熱費・食費だけなら年金だけで何とかやっていけてるのに、長男や長女から小遣いを貰ってたのは講演会行って健康食品とか買ったりなんかしてるからで、実際買ったのは自分で使わずじまいがほとんどで、孫にあげるのとかして、ほんまに好き勝手やってたんやなぁと改めて思った次第です。

だって、年間に5-60万貰って、ほとんどをそういうのに使ってたんやから。
思考回路がひもじい私はビックリです。


これからはそういうのに使わせなくするようになりそうなので、なによりです。

健康食品買って朝だけ食べて大腸がんになって。かぁ・・・。


2005年12月15日 (木)

母、一路千葉へ。

保険外交やってるウチとこのボス、
このたび全国研修会に出かけることとなりました。
全国から一堂に会して1泊2日。
奈良からはボスともうひとりの2人しか参加しない。
それくらいの狭き門。
そうじゃなきゃ一堂に会せれないし。wink

ってなわけで、
食事係のボンボンが期末テストに打ちひしがれる中で
料理は無理だろう、との判断で、
シチューを作りおきということになりました。

カレーがまだ残ってるのに。
coldsweats02coldsweats02coldsweats02coldsweats02coldsweats02coldsweats02coldsweats02

さて、ボスは明日まで向こうにいるのですが、
なんとか観光もしたいという意向。

そんなに観光してるヒマ・・・あんのかな?


ところで、新幹線のセミプロからのアドバイス。
dollarコーヒーは改札に入る前に買いましょう。
dollarお弁当は改札に入る前、コンビニで買っておきましょう。
dollarタバコとライターは車内で売ってございません。

そんなこと言ってたら「分かってる」とな。
そら、ボス、今年2回も乗ってらっしゃるもの。
(その前は10何年も前やけどwink

2005年10月19日 (水)

ブロブロがぁ〜

Nhzpkvxz できましぇ〜ん(ToT)
おい、チビ!学校はどうした?
おまいはニートかangry



それより、夜中2時までだらだら文章書いてるけど、何書いてるん?

2005年8月18日 (木)

ウチは「浅見組」の先代を知らない。

まずはお知らせ。
「a s a m i + n o t e」をシンプルなデザインにしてみました。
リニューアル、ってやつです。

シンプルっちゅうことは「単純」な仕組みなわけで。
変化を求めるべく、javaなんてものを試してみたものの。
「あと○○日」というのしかうまくいかず。
それも「あと○時間○分○秒」のやり方がまだ分かんない。
まぁ、なんとかなるかな。



さて、そこのタイトルに「浅見組」という表記を加えてみました。

「浅見組」というのが泉州のどこかにありまして。

先代は大工の型枠の仕事を中心にやってました。
頭は引き受けた仕事が割が合わなくても完璧を求める、律義な性格。
採算割れの仕事も引き受けてたとか。

律義な上に頑固でもあり。
家でテレビを見る時はプロ野球の巨人戦のみ。他の日は1日1時間までと決められ。
律義にチャンネルを持って仕事に行くのでその間絶対にテレビは見られなかったそうな。

また、戦争が終わって使われなくなった小学校で多くの人が住み残っていたので、
市役所にその土地を市営住宅にさせるよう直訴、遂には市営住宅が建ったのだった。

浅見組の先代の律義さと頑なさは近所の住民や業者・市役所にも知れた話であり。

お葬式の時、自らが働きかけ、実際住居を構えていた市営住宅の集会所でお葬式をすることになった。
なったはいいけど、参列した弔問客が多過ぎて、坊さんが唱え終わってもお焼香の列が続いていた(・・・らしい)

そんなこんなで、先代の長男は地元市役所に勤め、
公共工事も「あそこの息子やから」と、談合をもちかけられることなく(しかし、他の課が談合して、市長が逮捕されてしまったが)、親父の遺したものに驚くこともあったとか。

その先代はウチの(親分の方の)ジィさんにあたり。
長男長女は父親の権限により高卒で別々の市役所に就職。
地元市役所に勤める長男は管理職になって、残業手当てが付かなくて嘆いたとか。
その下の次男は家業を継ぎ。
末っ子の次女ことウチとこの親分は高校を出て歯科の専門学校に進み、歯科衛生士になった。

その先代のジィさんが亡くなって22か23年。
亡くなってから親分は結婚(ジィさんが生きてたら絶対に許さない、そんな結婚相手と)。

そのおかげで今の自分自身がいるのだけど。



2005年6月28日 (火)

っていうことは。

ウチのボンボンが最近ブログをしてません。

ボンボンの性格上、いろんなことに興味を抱き、
本当に気に入って続けるのは割と少なく。
実際は10コに1コあればいいくらい。

ただ、3日坊主ってわけじゃなく。
2〜3ヶ月試行錯誤してたりする。
けど、フェードアウトしてたり。

ブログもそのひとつだったかもしれない。
ブログを発信するときは送りっぱ。
コメント返しなんかまったく眼中になかった。

で、トイレで書いた記事を最後に、
ボンボンのブログは交信が途絶え。
土曜日も管理画面を開け、更新開始かと思いきや、
何も書いてないでやんのwink

「なんかひとつくらい書いてくらさ〜いshine

そういうのを書いたとしても
ウチのアドレスが不用意にバレるのもなんなんで、
自分の手を汚さずにはっぱかける方法を考案。

なにやらしゃららんのブログでは
写真を送るとしゃららんのブログに晒すことができるようで。
ボンボンの写真をしゃららんに送ればいいか、とな。

題して、
「ボンボンの知らないところで恥晒し」・・・?

果たして、それでボンボンのブログ欲は・・・あがる訳ないって?
それを言っちゃあ、おしまいよwink

2005年6月 8日 (水)

でかした、おまえ。

きょうは徹夜の影響か、すんなり早く眠れまして。

目が覚めたのが5時13分で目覚ましが鳴る少し前だった。

万が一、起きてすぐに出られるように居間で寝てるのですが、
起きたらそこにはボンボンが。

「え?夕方??」
そう焦るのもおかしくはない。

いつも7時に起きるボンボンが、そこにいるのだから「学校帰りなんだなぁ」と思って差し支えなく。
で、また、結構長い夢を見てたんだわ。(起きてすぐ頭ん中がてんわやんわで、結局忘れたけど)

よって、2度寝することもなく、家を出れたのだが。

そのボンボンが朝早くからdogの散歩に行きまして。珍しいったらありゃしない。
けど、「あ、別に昨日の晩行ったから」なんて言ってボンボンのルンルン気分を損ねたくなかったので行ってもらった。
(5時間前に行ったので、「あれ?トイレしいひんかったけど、行ってきたん?」と言ってきたのだったが)

一方その頃寝起きの長男はPCを点けて、ちょろっといじっただけで時間となり、慌てて出て行ったのが運のつき。

定期入れっぱのGジャンを忘れてしまった。
これでは電車に乗れないぢゃないか。

だから、自転車で爆走ちうにボンボンに至急電!
「旧24号にいるから。Gジャンん中の定期持って来て」と。

そして、後ろを気にしながら、でも全速力で駅に向かう長男(とっさの時に忘れがち)。
追いすがるボンボン。

駅に着こうかとした、その時!

後ろから原チャに乗ったボンボンが全速力でやって来たではないか!

「はい、これ定期」
「でかした、おまえ!」

こうして、普段から罵声の浴びあいをやってる兄弟の絆の深さを実感したのでした。



おしまい。

2005年5月26日 (木)

おーい!ウチの家族!

なんで家にみんな揃ってるんや!

ウチは水木は授業入れてないからエエとしてやぁ。

親方は朝、用事を済ませてから一旦帰宅。
ひと言で表すと「じゃあくさい」らしい。そら、会社のヒトらこゆ〜いメンバーばっかしやからなぁ・・・。

ボンボンは中間試験で朝までだったらしい。3年になったんだから、もう欠点ばっかし取るんじゃねぇぞannoy

そんで、チビ(高1、久々のご登場)は休んでるしぃ〜chick

久々に平日の昼ごはんを家族揃って食べましたとさ。
って、ええことなんかい?

微妙やけど。

2005年5月20日 (金)

やっぱり

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和泉に引っ越そう。



って、何遍も言っても
引っ越すには気力が足りない
だから、一向に進まない



shock

2005年4月 6日 (水)

えー、改めて貧乏っちゅうことに気付きました。

立ち振る舞いは「中流」と同じくらいかと思っていたけど。

やはりウチの家はお貧乏なんですな。

きのう、市役所で学資の貸付手続きを終えました。(夜中に書いているのできょうと言ってしまいそうですが)

役所の行う貸付制度は「返済するもんか」という人が多く、焦げ付く一方なので門戸がかなり狭いようでして。自営の場合、収入が安定しないとかでダメと言われたそうな。

まだ市役所ではユル〜いようでして、3回生からでもとなったと。

いや、母子家庭になったのが大きいかな。

でも、保証人が市役所までついてきてくれたのも大きいな。手続きの際に保証人さんも大事な存在で。市役所まで顔を出すだけでもえらい違いとか。

その保証人になってくれたんが母の兄。「しゃあないからやぁ」と、語尾に「やぁ」とつける方です。その兄は地元の市役所勤務でありまして、勤続30年になろうかというところです。去年、昇格した際「これで残業手当付かんようになるなぁ」と言うてましたか。

その公務員のおっちゃん、年収がどれくらいか、知ってしまったのです。申請書に書かなならんから。

880万ですって。(税抜き前)

もう、それだけでショックです。世間一般を知らない訳ではないけれど、「多いなぁ」と思ったもの。

ウチの家、父母長男がどんなけ働いて700(税抜き前)になったか・・・(父の休職が長かったから700いってない気がする)。朝から晩まで働いてね。2年前まで500になるかならんか位だった時期もあった気がする…くらいですわ。

で、別れてからどうなるか?結局は借りることにしました。

そのローン、10年で半年に6万強ずつ返していくらしい。こっちは何とか返していくけどね。10年は長いなぁ。

これで気兼ねなく旅行が出来そうな気がするけど。

己に対してとことんケチな性分で、天王寺から万博公園まで自転車で行くくらいだから、ある意味すごい旅行になるだろうけど。


別に親戚や知り合いの誰も読ま(れて)ないから書いたのだった。

2005年3月 1日 (火)

手術ですって。

きのう、病院に検査しに行った母ですが。

来週から入院することになったそうです。

7日(月)入院、9日(水)手術、18日(金)退院となります。5日に説明を聞きにいきます。

去年の秋、母の兄が心筋梗塞で倒れ、ビール腹がへこんだのですが、定期健診で手術ミス(と言っても過度の医療ミスではなく、必然的にごく稀に起きるミス)が見つかって、再手術したのが1月の末。それから1ヶ月ちょいでこっちも入院。

さて、次は?  なんて呑気に言ってる場合じゃない。


とにかく、入院期間中は新聞配達をウチがすることに。全くの初めてじゃないから心配はないだろう。全部をひとりで配るのは初めてだけど…。

これで2週間弱は毎朝5時半起きから3時起きの生活に繰り上がることになる。いつも就寝は1時か2時半…。睡眠時間30分!?

と、いうことで昼夜逆転の生活をすることにします。朝5時半起き・深夜2時就寝から夕方5時半起き・昼の12時就寝に。これで約6時間、まとまった睡眠がとれそうです。

しかし、この夜型生活、その1週間後には大学が始まるのですぐに戻さなければならないのと、この生活の途中でも昼の予定があるので…。


来週から大変です。

2005年2月28日 (月)

我が家の母、帰って来ず。

きょう会社を休んだ我が家の母。

朝の10時に済世会病院に行くと言って家を空けて、はや8時間。

いまだ帰ってくる気配がない。

心配だ。

なぜなら母の携帯電話は「会社の人からの電話がかかってくるのが嫌」とかで置いてった。

所持金がないとかで5千円貸したが、たぶん銀行から引き出してはないだろう。買い物するにはもう十分な時間だ。

そして、一番信頼しているだろうみき女史に電話で確認したら来ていないとのこと。

そういえばの話。先週、生理の時に大量に出てしまい、体調がおかしいのではないかとか心配したが・・・。関係あるだろうか。

さらには最近、チビ2の進路は決まったけど、大阪から通学するには無理があるからやっぱり奈良で暮らそうかとかで揺れているし(大阪派はウチと占い師だけだし・・・)

悪い方に考えたらキリがない。月曜は自殺者が一番多いとかって言う統計も聞いたことあるし・・・。



いまからウチはバイトに行かなくてはならない。

母に連絡しようにも携帯は家に置きっぱ。公衆電話からかけるような人でもなく。



ダメだ、このまま最悪の展開で幕を閉じてしまったら・・・。







こんがらがった頭の中をここに吐き出してみた。




祈ってください。

2005年2月25日 (金)

tibiの高校受験

きのう、県立高校の選抜受験の結果発表がありまして、とある高校に合格したそうです。

そうは言ってもこちらはいずれ引越しをする身。引越ししたら通学に何時間かかることか…。

試算では6時40分に電車に乗らないとならないとか。

どうするんでしょうか、少なくとも5月くらいまで引越しはよそう、という事に。


そんな中、きのうの朝、府庁に行きまして、教委に高校受験に関して資料をもらいに行った。

上町筋を自転車でただただ北上。途中、コーヒーの香りが漂うと思ったら軒先の工場でコーヒー豆を炒っていた。

喫茶店も何件か見かけた。

上六と謳ってきだしたらそこはもう上本町で、中央大通を歩道橋で渡り、NHKのビルを過ぎたら左折。谷町筋に出たら右折する。

谷町筋沿いの府庁の"新"別館は現代のコンクリート建築の典型みたいなかんじ。それに比べると府庁の"旧"別館はいかにも近代のコンクリート建築みたい。言ってもおそらくコンクリートではないかも知れんが。

5階に府の教育委員会があると言うのですんなり5階にエレベーターで。怪しまないのか!?スーツも着ないのに。

先週電話で訊いた時、担当が学資科と言っていたので学資科の方に行こうとするおっちゃんに「かくかくしかしか」「うまうまぱくぱく」と、なんだかんだで担当の方にお会いする事に(「アリス探偵局」より引用)。なんですんなり行きすぎるのか…?受付とかに言わなくていいの?

一応、夜間の場合について訊く事にした。もともと先週電話したのは夜間に入学する事を前提で訊いたので。

伯太高校が名称変更するのは驚いた。あそこの近所に引っ越そうと、去年ことが進んでいた。万が一の保険として、役に立つ時が来ない事を願う。

その後、午後になって合格の知らせが入る。受験会場に向かう時に雨が降り出したらしい。お天道さんは何を言いたかったのだろう。

中学もあと少し、チビはきょうも休んでいる。(たぶん、このあと3時起床)

2005年2月13日 (日)

やっぱりお引越し

引っ越しします。


祝日だった金曜に和歌山の占い師の所へ行ったみたいです。asami+さんのおばぁが事あるごとに足を運ぶ付き合いの長い占い師さんです。

その占い師さんは引っ越しすべきかの問いに「早く引っ越した方がいい」と答えたようで、春休み中に、もしくはGWのうちに引っ越すことで事が進みだしました。

引っ越すとしたら親族の多い和泉らへんでしょう。もしかしたら去年、敷金を払う寸前まで事の進んでたアパートかも知れません。

遂に、と言いましょうか…。それとも突然とでも言うのでしょうか?


ま、去年の末に引っ越す予定だったんだから、ショックは小さいはずなのに、そうじゃない。

いざ、引っ越すとなると邪念が入ってくるのです。「奈良に行けなくなるのか…」そう思ったら、気軽に近くの観光地に行く事が出来なくなると感じて寂しくなります。やっぱり奈良が好きだlovelyなんて思うのですが、もう遅い。

別にチビが奈良の高校にあと1年行かなならんのでその定期使えば奈良に簡単に行けるはずですが。でも、行く回数の絶対数は減ります。目的地に着く時間も明らかに変わります。


ココに居るのもあと2ヶ月。そう考えるとあっという間です。

2ヶ月で出来る事はしておこう。思い出の地なんて少ないけれど、記憶に残しておきたい。今まで行った事の無い所にも行っておこう。

あと2ヶ月か、まだ2ヶ月か。2ヶ月のうちに動けるだけ動きまわりたい。奈良で過ごすのも時間の問題。



いざ離れるとなると寂しいです。

2005年2月10日 (木)

引越ししようかと言うけれど

離婚の時期に本気で引越しの話が進んでいた。父だけを残して、である。

結局は父が出て行くことになった。だから契約直前まで行ったこっち側の引越し計画はおじゃんになった。

引越しの計画は母の実家がある和泉らへんにしようというのが大勢を占める。でも仕事は奈良をベースにやってるのだから相当の通勤時間がネックになる。さらに新聞を辞めなければならないからそのまま収入減につながる。

それでも、和泉に引越しを諦めていない節がある。この家がよっぽどイヤなのかな?(ウチは別に…と思っているのだけど)

2005年2月 7日 (月)

父が追い出された理由

HNの由来の話でなぜ苗字を変えることになったか、書いてなかったので興味の無い方も是非お付き合いの程を。ココにしては長い方ですから。

変えた理由は簡単、両親が離婚したのです。子供3人は共に母方に付いていくと意見は一致。そして母子3人は苗字を変更することになったのです。

それまで父は事あるごとに仕事を辞めたいと言いながら生きてきました。実際、高専卒(当時は出来たてで今より偏差値が良かったとか)で紡績会社(現在、経営再建中)に就職するも3年で依願退職。その後8年もの間仕事をせずに暮らしてました。

父の父(ウチから見てジジイ)がハナから仕事を全くしない人間で、嫁さん(つまりおばぁ)が一所懸命内職して生計を立てたのです。(さらに言えばその父は努力家で一代にして多くの土地を取得するまでになったとか。しかし、ウチの父が生まれるだいぶと前に亡くなった)

そういう父(つまりジジイ)を見て育ったので、仕事をするという考えが理解できていなかったのやも知れない。70年代によくもプータローでやってこれたな、と思うけど。

そして、再び仕事をすることになります。小さな町工場勤務です。その後、結婚。

母は嫁いだことで正しく「波乱万丈」に登場しそうな日々が始まります。痴呆に侵されたジジイの母の看病、職場に行かせる様に旦那の尻を叩き、そしてなにより酒癖の悪いジジイに朝から晩まで格闘しなければならなかった―。トイレに行ってるのを知ってて、聞こえるくらい大声で嫁いびりをする…そんなのは日常茶飯だったと母は話します。

痴呆の看病は死去により終わり、ジジイとの格闘は5年経って引っ越しという形で何とかなり、しかしこの経験が心を強くしてくれたと言っています。

我が家も引越しして、しばらくして父の給料が頭打ちになり(重要なポジションが嫌で自ら平になったと言い、家族全員を怒らせましたが)、母が断続的にパートをするようになりました。そして、パートを始めると「会社辞めたい」病がでてくるのです。

途中、母は"うつ"になり…と言ってもうつ病が世間で認知される前にうつになってたので、自分が"うつ"だったと気付くのは完治してからの事です。うつになり、克服してからしばらく経って今もしている保険セールスの仕事をしはじめます。保険セールスの最初は安月給ですが、成績が良ければ給料も自ずとアップします。

父は保険をしだしたという時期にいつものように「辞めたい」と言い出したのですが、もう子供からみても末期に近い状況でした。本当に辞めてしまいます。2003年11月の事です。

その後、半年かかって再就職を果たし、しかし金が無いのでウチは大学を半年休学することになりました(色々経験してプラスになったから良かったと思ってるけど)。再就職した会社も小さな町工場。会社自体社長と専務が対立してという有様、父はISO14001取得に向けた作業を全てひとりで担当させられることに。就職したところがある意味スゴイ所だったのですが、半ば自業自得では?と思いました(厳しい見方ですが)。

そして、「辞めたい」とぼやいた事で母の逆鱗に触れてしまったのです。これまでの蓄積が遂に貯めきれなくなったのです。

とにかく論点はひとつ。あと5年強、定年までそこで働くか否か。NOなら今後の生活が保障されないから離婚して母子家庭になると母は突きつけたのです。

父は「わからない、NO」と返答。2〜3週間経っても返答に変わりは無く、遂に母は今後の生活の保証が無いのなら母子家庭として暮らしていく、と離婚を決断します。2004年の11月のことです。(ですので、その時にココでブログを始めたわけです。)

父はある程度最低限の家財道具と車を引き取りアパート住まいに。毎月の家のローンと少しの生活費を手渡しで母に渡す事となりました。


…と言いましても、こちら側は至って明るい。母は子供らを育てていくぞと決意し、ヤル気です。成績トップを目指すぞ、と言って一時期瞬間的にトップに立ちました。

保険セールスの仕事以外に新聞配達もしています。

実は"うつ"にかかっていた時期、パートをしていなかった母が何かしようと思って始めたパート。毎朝3時起き、配り終わった時のすがすがしさを毎朝の生きがいとして、"うつ"の時代のとても重要な存在として支えていたのです。今も続けているのはその為だと思う。ウチもたまに手伝いをして、その度にすがすがしさと感じ取ります(特に夏なんか)。


我が家はとても元気です。



**一応追記したかったけどすでにトラックバックしてあったので別に書いた次第です**

2005年2月 3日 (木)

happy birthday dear mother

父を追い出してから3ヶ月。女手ひとつで暮らしていくと決意した母はまるで親方のような存在。

親方といっても建築家の安藤忠雄の事だけど。

安藤忠雄事務所が手掛ける建築物は安藤とその担当者が一緒になって作業を進める。建築家―担当―現場監督―施主の繋がりでやりとりをするが、実際は関係ないように見える。

安藤は全てに目を配ってないと気が済まない。気にしぃなのか、不安なのか。何より彼は建築の設計から施工まで全ての工程をした事があるので、何でも相談に持ち掛けられるのだけど。

安藤は全ての依頼をそのスタイルで進めるからその推進力はすごいと思う。それに加え、建築コンペにも果敢に挑む。

事務所のスタッフ総出でそれぞれのアイデアをひねり出すが、とても安藤には敵わない。結局は落選しても、その立地でどういう建築が必要かを考えるにあたっての肥しとなり、それ以外の依頼に対して還元される。それは事務所スタッフにも言える。

安藤の、スタッフと一対一に向き合うのがその後、独立するに至っての糧にもなる。


で、我が家の親方の話。

我が家の親方は3人の子供それぞれに対して一対一で向き合い、育ててきた。どれも対等に。今は末っ子に手を焼いている。その上、自身の仕事まであるから人一倍活動している。

そんな母が昨日**歳の誕生日を迎えた。年齢は言わない方が身の為だと思い、止めとくが。

今ごろ新聞から帰って弁当でもこしらえているのかな?

志向は高い。

2005年2月 2日 (水)

誕生日じゃなかったのね

誕生日おめでとうと言ったのだけど、まだだった。

ウチの親、2月2日ではなく2月3日だった。

そういえばチビ1号の誕生日も果たして12月27か8かが未だに分からない。その度に「なぁ、どっちやった?」と訊いてる。

誰か、林家ペー様を呼んできてdashdash

2005年1月31日 (月)

asami+さんとこの就職事情

おばぁ(80くらい)率いるasamiさんとこの子世代2男2女、その下に孫世代―。

10人いるうち3人は既に社会人として働いている。長女家族の2人と長男家族の1人。長女のとこは保育士(先ほど結婚)と製薬会社勤務、長男とこがどっかのIT工場に勤務。工場に行ってるのが同い年で、工業高校から就職した。

あと、その1コ上(魔法使い)が就活時期に差し掛かる。結婚式の時に訊いたら就活していないんだと言って、こっちはビックリした。就活するにあたっての伏線を知ってたから余計に。

どうやら服を売りたいんだとか。そういうつてがあるらしく、今ユニクロでバイトしてる理由もその為だという。いつかは独立して、なんてね。

工場に勤務してるのが(魔法使いの)年子の妹になる。そろそろ会社を辞めて、アメリカにでも旅行をしたいとか。実家通いを続けているので、ほとんどお給料を使っていない事になる。結構貯まっているんだろう、もし余ったらそれを元手にひとり暮らしをするんだとか。

結婚した保育士さんは共働きを続けるとか。週末もボランティア活動している。心清い方なんだろうな、きっと。

その弟が製薬に勤めている。今は岐阜で研修の日々とか。一浪して摂南に入って、そして大手製薬会社(ヒント…最近合併した)に見事入社した。ちなみに将来は退社して調剤薬局を開業、父親は車で配達、母親は事務、姉を受付に据えるとか。どこまで冗談なのか、なんて思うけど。

次男一家の孫世代3人のうち、1人は既に家業の大工を継ぐ見込みがたっている。

そして、ウチら次女家族。誰もが目標を見出していない。色々憧れが浮かんでも長続きしなかったり。

一番下のチビ2号は高校受験間近にもかかわらず、3学期の出席が片手で数えるほどしかなく、本当に受験して高校に進学するのかが微妙。しかも、学業に関しては全く口にしないから、本心を読み取る事が出来ず。女の子だから学業行かずという道もアリなんだろうけど、じゃ、何して生きていくの?と。通信制という道も残されているので、ゆっくり、時間をかけて見届けてゆきたい。

とにかく目下の問題はチビ2号機。その後1号機の大学受験。これからが勝負時のウチの家族。



asamiさんの孫たちは、いい大学に進学して、いい会社に就職してという道へ進んだのが少ない。そもそもそういう指向が無いと言い切っていい。関学に行ったはいいがそこで燃え尽きちゃったり。大手企業に就いたがいずれ独立を、と目論んでいたりと。asamiさんとこはそういう家系で、それが面白い。

2005年1月29日 (土)

小出しに結婚式フォト(1)

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真ん中2人は花嫁の両親で、左の母親とウチの親方が姉妹です。

両端の2人は親方の兄家族。右がウーピーゴールドバーグで左が魔法使いです。



題して

「夫婦漫才の余興」


和気あいあいとやってます。

2005年1月23日 (日)

結婚式に行きました。

asamiさんちの孫たちで最初の結婚式。

asamiがfujiiとなり、この度oogutiになりました。80になるおばぁ、ようやく孫の結婚式です。

普段よく喋るのですウチの家系が珍しくあまり喋らなかった。しかもおばぁとその子たち(ウチの母含む)が泣くわ泣くわ。お葬式であれだけ喋ってたのに…。


まず、結婚式本編(正しくは何と言うのでしょう?)。神道形式でしました。ホテル内で執り行うなんて便利というかおろそかというか…。

雅楽の演奏、テープじゃなくて生演奏でした。
noteふぁ〜〜ひゃ〜〜〜ふゃ〜〜と、時折うわずり過ぎなのが難癖でしたが。ツッコミたくて仕方ない、そんな連続でした。


披露宴は割とシンプルな構成で進みました。スピーチも歌も3〜4人でしたし。もっとも、詩吟がくるとは思わなかった(それが、とってもお上手)。


次の花嫁候補、ブーケもありました。披露宴で執り行われる事もあり、数本のリボンのうちひとつがブーケに繋がれ、そのリボンを選んだ人が見事花嫁にbellbellというルール。

そして、そのリボンを引いたのは…いとこの魔法使いsign02でした
なぜ、魔法使いか?そんな感じのワンピの衣装で、しかもひとりだけ衣装が浮いているんですよ。他が友人ばかりというのもあるんですが。とにかく、魔法使いがブーケを奪っていったwinkのです。

もう、会場がいとこかいcoldsweats02sign01という雰囲気。ライバルの凹みようと、魔法使いの気まずさが印象的です。


最後の手前で新郎の友人がフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」をトランペットで演奏しまして。もうね、泣いてくれ〜sweat01と言わんばかりの音色に誰しもノックアウト。



そんな様子、それ以外のひとコマを携帯の写メで色々撮りました。

でも、たとえ親戚でも!顔がバレてしまってはもともこうもないのでねぇ…。おかしな写真もあるのですが。また、いづれ。

2004年12月24日 (金)

きょうからasamiになりました。

どうでもいいでしょうが、ウチらにとって大事な話。

この度、両親の離婚を期に苗字が母方のasamiになりました。

父親の仕事へのやる気の無さ、ことあるごとに辞めたいと言い続けてきた事、ホンマに辞めて再就職した矢先の「辞めたい」発言―離婚の理由とはそんなものかもしれない。父親は家族の為に働き続ける義務がある(決して権利ではない)。

ココでブログを始めたころは既に離婚だけは成立していた。それまでフツーの日記を書いていたけど、離婚のバタバタで疲れて日記を辞めた。ようやく落ち着いたかという時にココのサイトを発見して、それまでとは違った事をしようと始めた(と、いいつつあんまり変わってないのかも)。

学校も休みがちだし、リハビリ程度でやり直そうと始めたのですが…。どうなんかな?わからんな…。バイトは相変わらずやしな。

ここで心機一転、どっこい生きてゆきますぞ。

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